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【僕の実家周辺紹介】よみがえる中世の大分!大友氏遺跡&南蛮BVNGO交流館

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おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村です。

先日、大分でセミナーを開催しようと思ったのですが、申し込みゼロのために中止となりました?空いた時間で大友氏遺跡と、そこにできた史料館である「南蛮BVNGO交流館」に行ってきました!?

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大友氏遺跡と豊後守護大友氏

大友氏遺跡とは、鎌倉時代から安土桃山時代まで豊後を治めた守護大名・戦国大名である大友氏居館の遺跡のことです。

大友氏は、初代大友能直が鎌倉幕府によって豊前・豊後両国守護兼鎮西奉行になったことをきっかけに、現在の大分県を本拠にするようになります。戦国時代にはキリシタン大名で有名な大友宗麟がいますね。その後、大友宗麟の嫡男・大友義統が文禄の役での敵前逃亡をとがめられ、豊臣秀吉により改易。その後は大分県とは縁が切れ、江戸幕府の高家旗本として存続しました。

大分市じゃ大友宗麟は英雄なんですよね。まあ、戦国時代好きにはいろんな意味で有名な大名ですが、大友家家臣団には立花道雪や高橋紹運をはじめとする有能な家臣がたくさんいました。その大友氏が現在の大分県および九州北部を支配するための拠点であったのが、大友氏館です。

大友氏館は1586年、薩摩の島津氏の府内侵攻により灰燼に帰したようです。その後、大友氏館の存在も忘れられていた(上原館が唯一の居館と思われていた)が、1987年に大分市史を編纂する際の調査の結果、現在の顕徳町3丁目に館があったことが推定されたそうです。

古図と現在の地図で比較をしてみましょう。

『大友氏館跡発掘調査のあゆみ』より引用

『大友氏館跡発掘調査のあゆみ』より引用

 

今でも発掘・整備作業中の大友氏遺跡に立つ

というわけで、早速現場に行ってみました。いまだに発掘作業中でありますが(H30年5月~第38次調査実施中)、2020年には大友氏遺跡の庭園を復元して公開する予定だそうで、工事も進んでいます。

発掘現場の全体像のわかる看板がこちらになります。

これが結構広いんですよね。大分市内の中心近くにこんな大きな空き地があったのか!?と思いましたが、1995年までここにあった工場が移転したのをきっかけに、発掘が進むようになったようです。

訪問時に発掘作業をしていたのが、大門(正門)付近でした。その案内板ですが、子供向けでわかりやすくて僕も助かります?

ちなみにここに書いている株式会社イビソクとは、埋蔵文化財発掘調査にかけてはスペシャリスト企業のようですね。岐阜県大垣市の会社だとのことです。

南蛮BVNGO交流館の展示物を見る

発掘現場には「南蛮BVNGO交流館」という、大友氏遺跡に関する史料館があります。BVNGOとは、当時のスペイン語で豊後(大分の旧国名)を示したものですね。なぜスペイン語!?と思うでしょうが、当時はフランシスコ・ザビエルなどのイエズス会宣教師が大分に数多く滞在したのです。

ARっぽいムービーで、大友宗麟自身が大友宗麟と館跡について語ってくれます。結構見ごたえがあり、しかもお金をかけた本格的なムービーでした。

当時の大分の再現アニメ?もあります。大友氏遺跡は、現在の大分市中心部から東に徒歩20分くらいのところにあります。現在の大分市街地が府内の中心となったのは、近世(江戸時代)に現在の府内城が作られてからの話ですね。

5千戸ほどの町屋のほか、外国人(南蛮人や中国人)居住区があったり、キリスト教施設(教会や病院、学校)があったりと、当時の地方としてはかなり大規模な都市だったようです。同時代で侵攻によって滅ぼされた中世都市としては、一乗谷朝倉氏の遺跡みたいな感じだなあという気がしました。

コスプレコーナーもあります。なぜか小早川秀秋の猩々緋羅紗地違い鎌模様陣羽織が見えますが?

工事中で立ち入りができないのですが、2020年に開園予定の日本庭園がこちらになります。交流館の職員さんの話では、庭園だけではなく、2030年までに居館全ての復元をしたいという市の意向があるそうですが……予算は大丈夫だろうかと他人事ながら心配になります。

周辺寺院を散策する

ここだけではなく南北2kmほどに展開していたのが中世の豊後府内だったようですが、当時の寺院が今でも現存しています(島津侵攻後に再建されたものも含めて)。18歳まで大分に住んでましたが、こんなところがあるなんて知りませんでしたよ。(まあ、当時はこんなことにはほとんど興味もなかったですしね……)

まずは稲荷社。冒頭の府内古図にも出てくる、創建700年以上の古い社です。

そして万寿寺。万寿寺は大友氏の菩提寺で、もともとは大友氏館跡の南西にある大きな寺院でしたが、島津氏の府内侵攻で焼失した後、江戸時代になってようやく現在の地に再建されたようです。

いやあ、地元出身者の僕も知らなかったですが、めちゃめちゃ立派で本格的なお寺です。

この道、変哲もない普通の道に見えますが、どうも中世府内時代からあった道のようです。ちょっとした感動です。旧街道ならばまだしも、中世市街地の道路がこの21世紀まで現存し、利用されているのですからね。

自分の身近なところの歴史って、本当に面白いですよね?

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