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【当社のご近所紹介】旧西国浜街道(深江~青木)を歩く

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おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。

誰も興味のないご近所歴史探索ブログのお時間です? 今日は暗渠探索と同じくらい好きな旧街道歩きです。当社所在地の東灘区深江には、かつて西国浜街道が通っていました。今でも若干の名残があります。深江から青木までの旧街道を歩いてみました。

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旧西国浜街道とは

旧西国浜街道については、深江にある長栄緑地の看板の説明が最も適切だと思います。

旧西国浜街道は、京都と九州地方を結ぶ江戸期以前からの街道です。阪神間地域では、下(図1)のように内陸部に本街道が臨海部に浜街道が通り、芦屋のうちであたりで合流していました。従って深江地区は旧西国浜街道が国道43号に並行して(図2)のように通っていました。
深江地区内では、国道43号の北側を取っていてなごりの末、大日神社、栄公園等を結ぶ道でした。国道43号の南端付近にあった道も江戸時代からの古い道です。
この長栄緑地は国土交通書の国道43号遠藤防災緑地の一つですが、当まちづくり協議会が旧西国浜街道を顕彰するための修景スポットとして整備しました。
皆で美しい魅力ある「歴史・文化緑地」として大切にしましょう。
平成22年10月吉日
深江地区まちづくり協議会

昭和10年の測量図によると、深江地区の西国浜街道は下記のように通っていました。

これを現代の地図にプロットしましょう。ほぼ国道43号線ですが、深江地区のあたりで街道が平行します。深江の村落に入る道と、深江の村落を避けて直進する道が分かれていたのでしょう。現在の深江本町1丁目のあたりで分岐し、神戸大学海洋科学部正門のあたりで合流しています。このブログでは便宜上、深江の村落を通る道を本道と、村を避けて通る南側の道をバイパスと定義します。

深江本町1丁目から大日神社

本線との分岐点から歩いてみます。現在は何もないただの交差点です。

現在は何もない普通の交差点ですが、ここにはかつて、南北に津知川という川が流れていました(現在は暗渠)。おそらく、西国浜街道が津知川を渡る橋のたもと、現在では43号線の中央分離帯のあたりに、本道とバイパスの分岐点があったのだと推察します。

43号線にそって、西(深江方面)へ向かいます。現在は三差路のなっていますが、これを右斜め前方方面に向かうのが本道です。バイパスは現在の43号線に沿って直進する道です。現在の本道と43号線の分岐点は、かつての分岐点よりも200mほど西側にあります。

分岐点から間もなくのところ、右手に栄公園があります。そこに旧西国浜街道の碑がありますね。今は公園ですが、昭和10年ごろはただの畑だったようです。

村の入り口に札場があるのはお約束ですね。

街道沿いに深山医院という病院があります。ここは江戸時代から深江で開業しているお医者さんです。地元の名士でもあります。

西国浜街道と稲荷筋の交差点に大日神社があります。ここがまさに深江村の中心ですね。

旧西国浜街道の碑もあります。

ここを南北に通る道は、通称「稲荷筋」なのですが、「魚屋路」という読み方もあります。現在でも六甲山ハイキングの登山道として有名な道です。江戸時代には沿岸部から有馬へ抜ける非公認ルートでした。

大日神社から青木へ

大日神社をさらに本道を西へ進みます。高橋川のたもとにお地蔵様が固めて置かれています。この街道筋にあったお地蔵様を集約したのだそうです。

さて、高橋川を渡ってまっすぐ行くと、商船大学筋にあたります。そこにはひっそりと「踊り松」の碑が。かつて街道沿いに、有名な松の木があったそうです。

ちょうどこのあたりが、バイパスと本道の合流地点です。バイパス部分(村の南側を通る道)の現在はどうなっているでしょうか。どうも神戸大学海洋科学部職員寮になっているようです。少しわかりにくいかもしれませんが、国道43号線に対して少し斜めに建物が立っています。旧街道筋の名残でしょう。

踊り松を過ぎて西へ行くと、直線の道です。幅が街道っぽいですよね。ちなみに(地域差はあるものの)、主要な街道の幅は一般的に三間(約6メートル弱)程度だと言われています。

本庄小学校のあたりには、かつて街道沿いにあったと思われる松の木が現存しています。

本庄小学校・本庄中学校のあたりには、旧本庄村役場がありました。現在、この辺りには商店も民家も少なく、はっきり言って何もないのですが、かつてはここに役場がありました。おそらく、お隣の青木村と合併した際、ちょうど中間地点であるこの場所に役場を作ったのでしょう。

現在では市立の保育園になっています。

そのまま道をまっ直ぐ行くと、広めの道路にでます。このまままっすぐ行くと阪神電車の青木駅なのですが、旧西国浜街道はこの写真の少し手前の部分から左に湾曲し、現在の市営住宅を突っ切り、43号線方面へと続いています。区画整理された際、この辺りの旧街道の遺構はほとんどなくなってしまったのでしょう。

ここから先、旧西国浜街道は現在の国道43号線と重複して続きます。石屋川~新在家のあたりまでは国道43号線とほぼ重なるようですが、新在家から西灘のあたりの西国街道は、現在の43号線より少し南側を通っていたのではないかと思います。現在でも街道筋が現存していますので、引き続き現場レポをお届けしたいと思います!(誰も期待していないって??)

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