補助金に関連する当ページの情報について
当ページの記載事項に基づいてすべてを判断せず、必ず公募要領を確認してください。当社ページの見解に従った結果、不採択となった場合も、当社は責任を負いかねます。このページの情報や見解は、予告なしに変更することがあります。

ブログ

新時代の抱負?目標?計画?そんなものはドブに捨てて生きる!

https://imamura-net.com

おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。

いよいよ今日から令和時代の幕開けですね。新時代をむかえ、令和の時代にやりたいこと、成し遂げたいことなどの抱負や目標、計画を立てる人も多いのではないかと思いますが、僕はそういうものはもう持たないように決めました。しいていうなら、目標を持たないことが目標でしょうかね。

スポンサーリンク

僕の平成時代を振り返ると、目標から逆算して計画を立てる人生だった

昭和から平成になったのは、僕が中学三年生の時でした。ちょうど受験を目の前にして、志望校に合格するという目標を立てていたころでしょうか。

思えば僕の平成時代は、目標を立て、そこから逆算して実現計画をつくり、それを実行することに執着していた時代だったと思います。高校受験に始まり、大学受験、就職、TOEICの目標点、中小企業診断士の取得、キャリア計画、大学院進学……などなど、いろんな目標を立てては、実現したりしなかったりを繰り返してきました。

「えっ?人生ってそういうもんじゃないの?目標や計画のない人生なんて、だらしない人生だよ」と思う人もいるでしょう。しかし、ここまで目標や計画を実行して人生を歩んできたにもかかわらず、僕は少しも幸せではなかったし、楽しいと思ったこともありませんでした。志望校に入り、大企業に就職できものの、組織に馴染まずに転職を何度も繰り返し、そのたびに年収も減っていく始末。子どもが産まれてから鬱にもなったし、挙句の果ては家族に暴言を吐くようになって、DV加害者のワークショップに通ったこともありました。

目標を立て、そこから逆算して実現計画をつくり、それを実行することが「当たり前の」「そうあるべき」人生だ――そう誰かから教わって、信じて生きてきたにもかかわらず、この落ちぶれ方はなんなんだという気持ちでいっぱいの平成時代だったわけです。

進歩に目的などはない

僕の愛読書である「ティール組織」には、"Evolutionary Purpose"という考え方が出てきます。日本語では「存在目的」と訳されていますが、僕は英語の原文通り「進化的目的」と理解しています。

ちょっと壮大な話になりますが、地球誕生から46億年。地球に生命が誕生したのが38億年前と言われています。その時誕生した生命は「よし!自分は将来、知的生命体に進化して、地球の支配者になる!」という長期的な目標を立てたでしょうか?

陸上生物が生まれたのが4億年ほど前ですが、その時海から陸に上がった生物は「よし!自分は陸上で最も足の速い生き物に進化するぞ!」と決意をたて、その長期的目的を実現するために自らの進化をコントロールしたでしょうか。

仮に、そういう生命がいたとしましょう。しかし地球の生命38億年の歴史は過酷なもので、例えば「スノーボールアース」という、赤道も含めた地球全体が凍結した時代が何度かあったというのが、地球史の研究者の間で主流となりつつあります。もちろん、多くの生命はその時に死に絶えています。

いくら生命が長期ビジョンを持って、進化を自らコントロールしようと思っても、地球環境の変化には抗えないのです。死んでしまうのです。環境に適応できた(それも意図的ではなくたまたま)が生き延び、それが環境に応じた進化をして、たまたま今僕たちが目にするような動植物に進化をしたのですよ。それは意志ではなく、運だとも言えます。

「目的」をもって生きたとしても、我々は結局のところ環境に振り回されるのです。目的に向かって一直線に進むことが正しいというわけではないのです。人生とはそんな単純なものでもないし、我々は将来の環境変化を正確に予測できるほど賢くはないのです。明確な目的を持っていても死滅するときは死滅するし、明確な目的がなくても、進化は起こりうるのです。仮に目的を達成したとしても、幸せになれる保証などどこにもありません。

僕らの世代が就職したのは、いわゆる就職氷河期でした。まじめに勉強して大学を卒業できれば、いい会社に入り、安定した生活が送れると言われていた時代は既に終わっていました。就職して待っていたのは、リストラ、出向、非正規社員、成果主義、そんな時代でした。描いていた「目標」もはるか遠くのものになりました。それでも僕たちは、この社会の中で生き延びなければなりませんでした。

目標や目的の有無にもかかわらず、生き延びるために環境に適応すること。これが"Evolutionary Purpose"だと、僕は理解しています。

誰かの真似はしない。他人の成功体験は他人のものである

たぶん、平成時代初期の僕は、中学生ながら、誰かから「目標を立てて逆算して生きることが賢いことだ」というのを教わったのでしょう。そうして、誰かの成功体験――偏差値の高い学校に行くこと、高い学歴をえること、有名な会社に入ること、国家資格を取得すること、そして目標管理をすること――を内面化して、自分のものにしようとしていたのだと思います。

それは他人の成功体験であり、僕の成功体験ではありません。他人の成功体験だからといって、それを取り入れて自分も成功するということは、誰も保証はできないはずです。それはその人だからできたことだからです。しかも環境が変われば、そんな価値観は一瞬のうちに古びた化石になるのです。ありていにいえば、目標を立てて計画的に生きるという生き方は、僕にはあっていなかったのでしょう。これに気づくまで40年もかかってしまいました。

もうこうした他人が定めた価値観に振り回されるのは、平成で終わりにしたいと思っています。目標を立てて逆算で生きない。他人の成功体験を取り入れない。生命が進化を遂げたように、環境に適応することを第一優先に考える。その結果、どのように進化するかはわからないが、進化をしたということだけを自らで評価をする、という"Evolutionary Purpose"重視の生き方をしたいと思います。

僕は決して「何もしなくてよい」と言いたいのではありません。環境変化に備える必要はもちろんあります。しかしその備えることにも過信や執着はしません。環境変化に役立たないと思えば、備えたものであっても捨て去る勇気をもたなければならないし、何が役立つかさえもわからない中で、興味や関心あることにはとりあえずひとかじりするという行動力も持たなければならないと思っています。目標や計画よりも、そういう「機動力」が、"Evolutionary Purpose"の原動力になるのではないかと思っています。(これも仮説にすぎず、間違っていると思えばすぐに捨て去る勇気は持ちたいと思っています)

そもそも令和も平成もない。日常は続いていくものだから

新時代になったから何か新しいことをするというのが、僕には必要ないと思っているのですよ。令和だろうが平成だろうが、今日は昨日の続きであり、明日は今日の続きでしかありません。日常は単に続いていくだけのもの。今日を境に何かが急激に変わるというのはありません。

僕はただ、今を生きていくだけです。予測もできない、統制もできない未来のことはもう見ません。ただ、昨日より今日が進化をしていればそれでいいという考えのもと、とにかく動いて捨てて、動いて捨てるを繰り返していくだけです。

行き当たりばったりと笑わば笑え。僕はこのやり方で、今度こそ「幸せな自分」を取り戻したいと思っています?

スポンサーリンク

スポンサーリンク

最近の人気記事

1

おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。 国際標準化機構(ISO)は、現行のISO9001:2015(品質マネジメントシステム規格I)を改訂する準備を進めているようです。現在の ...

2

おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。 2024年2月、ISO(国際標準化機構)は、マネジメントシステム規格に「気候変動への配慮」を盛り込む形で規格の一部を改定しました。今回 ...

3

おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。 5Sの考え方がISO9001や14001の運用に役立つことがあります。その逆もあって、ISOの仕組みが5S活動に役立つこともあるんです ...

-ブログ

© 2024 Management Office Imamura Ltd.