おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。
学年が上がるにつれ、うちの娘氏も学校で阪神淡路大震災について学ぶ機会が増えてきました。本人が当時のことに興味をもったようなので、震災時の記録写真を片手に、26年後の同じ場所を探索するというミニ社会見学をやってみました。
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震災記録写真オープンデータベース「1.17の記録」
震災時の記録写真はネットで公開されています。このサイトのすごいところは、掲載されている写真については原作者のクレジット(氏名、作品タイトルなど)を表示することを主な条件とし、改変はもちろん、営利目的での二次利用も許可される最も自由度の高いライセンスであるところです。
今回、ここの写真を印刷して、撮影された同じ場所を子どもと巡ってみました。
(全然関係ない話ですが、震災の年だったか翌年だったか、阪神淡路大震災の記録写真(ネガ)をスキャナで読み取ってデータ化するというアルバイトをやりました。大学で募集してたんですよ)
深江北町4丁目付近
まずは当社のご近所、阪神深江駅の北側から。震災翌日の光景ですね。
同じアングルから見た、26年後の風景です。クリーニング店のある建物や、奥のパチンコ屋の建物は現存していますね。
東灘区森南町3丁目2付近
このまま北(山側)に歩いていき、2号線まで行きます。通称「赤鳥居」とよばれる、森稲荷神社の鳥居があります。この鳥居は江戸時代からあるものですが、まずは震災発生翌日の写真を見てみましょう。
そして現在の写真です。ほとんど毎日のように拝んでいる赤鳥居ですが、こうやって見ると、ほとんどが新しい建物になっていることがわかりますね。かなり被害が大きかった地域であることが改めてわかります。ちなみに阪神淡路大震災で甚大な被害を受けた地区といえば長田区を連想する人が多いかもしれませんが(菅原通商店街には天皇皇后両陛下や寅さんが来たりしましたから)、東灘区の被害も甚大で、全壊13,687件半壊5,538件と、長田区についで神戸市内の区で2番めに建物の被害が多かったようです。
本山中町3丁目1-16付近
今度は本山方面です。現在の少路の交差点(ダイエー甲南店あたり)の少し山側から、南を見るアングルです。まずは震災時の写真から。1階部分が倒壊していて、当時よく見た形の潰れ方の一つです。倒壊した1F部分にもわずかに隙間があり、ここにいた人がなんとか無事であったら……という思いが自然と浮かび上がってきます。さすがにうちの娘氏も驚いていました。そりゃ驚きますよね。大人だって驚きますもん。
そして26年後がこれ。長井造園美術さんはご健在です(地元でもそこそこ有名な造園業です)。奥にあるトンガリ屋根のワンルームマンションは当時のままです。こうしてみると、やはり1995年といえども木造住宅が多かったんだなと思いますね。
本山南町6-4付近
本山から深江に戻る途中、本山南町6-4付近(業務スーパーやナダ電子さん近く)です。道を塞ぐほどの倒壊っぷりです。
26年後です。滝川工作所さんという鋼材屋さんは建屋の再建をはたしましたね。東華ゴム(ここも老舗企業)さんのビルは健在です。うちの娘氏はこの現場に立って「山の形は変わらないね」とのたまっていました。ちょっと違うかもしれませんが「国破れて山河在り」と『春望』を思い出しましたね。
うちの娘氏にとって震災は、生まれる20年近く前の話です。本人にとっては大昔の話のような印象があることでしょう。でもこうやって現場を歩くと、そこは日常と地続きであることがはっきりわかるんですよね。
この街歩きで娘氏は震災についてさらに興味をもったようで、今度は「人と防災未来センター」に行く約束をしました。