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エモブロ ブログ

挫折をしたとしても人生は続いていく

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おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村です。

週末のエモブロです。今年で社会人25年、そして本日で人生丸48年を迎えました。人生の半分以上を社会人として過ごしているわけですけれども、世間様のいう「普通の人生」に固執してきた25年だったなと感じています。

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「普通の人生」から脱落してしまうという不安

3年間勤めたあと、最初に働いた会社を辞めるときに思ったことは「脱落してしまう」ということでした。今思うと、たかだか会社を辞めるということに過ぎないんですけど、まるで丸裸で街角に放り投げだされるような不安感を覚えていたんですよね。

というのも、ぼくは(曲がりなりにも)、高校を出てそれなりの大学に行き(国公立なのにセンター3科目しかないため)、そして上場企業に就職しました(コネ入社だったんですけどね)。これは一応ギリギリのラインで、世間様のいう、いい大学に行き、いい会社に就職するという「普通の人生」だったと思うんですよね。その「普通の人生」から脱落してしまう、ということが恐怖に近い感情となり、ぼくを襲ったのでした。

今思うと、世間様のいう、いい大学に行き、いい会社に就職するという「普通の人生」の価値を、ぼくは盲信していたんでしょう。だから、偏差値だけは高いけれども入試の難易度の低い学校を選んだり、コネを使ってでも誰もが知る会社に潜り込もうとおもったわけで。

でもこのときの僕には、もう世間様のいう「普通の人生」を歩むことは、自分の力量不足のためにできなかったんですよね。「普通の人生」を歩むことはできないけれども、そこから脱落することはプライドがあって受け入れられないという心情でした。有り体に言えば、これはぼくにとって、ひとつの挫折だったのでしょう。

挫折をしたとしても人生は続いていく

しかし「挫折」をしたとしても、ぼくはその後の人生を生きなければならないんですよね。死なない限りは、人生は続いていくわけですから。ぼくは今まで盲信していた「普通の人生」を失ってしまったあと、どう生きていけばいいのかが全くわからなくなりました。

わからなくなったがゆえに、ぼくの気持ちとしては「もう一度『普通の人生』を取り戻したい」という気持ちを強くもっていたように思います。まだ世間様のいう「普通の人生」に固執していたんでしょう。だからその後はまた外資系企業に転職して、「外資系企業で世界を股にかけるビジネスマン」みたいな姿を実現したいと思っていたのだと思います。まったく懲りない人ですよね。

でもそれもそんな簡単にはいかないんですよ。たしかに「外資系企業で世界を股にかけるビジネスマン」にはなれたとは思いますけど、ストレスも相当なものでした。そこでまた挫折してしまうんですけど、それでもやっぱり「普通の人生」を追い求めてしまうんですよね。今度は「国家資格をとってやる」ということで、診断士を目指すようになりました。出来が悪い人間なので、何年もかかってようやく診断士になれましたが、今度はほどなくしてうつ病になっちゃったんですよ。

ここでようやく「『普通の人生』なんてものは、最初から実現不可能だったのでは?」という考えに至るようになりました。ありもしないものに固執をしてしまっていたから苦しかったのだと思います。そんな簡単なことに気づくまで、何十年も「普通の人生」から離れられなかったんですよね。

「普通の人生」以外の生き方をとっていたら

社会人になって25年経ちましたが、振り返って思うのは、「普通の人生」から脱落した自分をもっと早くに肯定できていれば、ということです。いや、もちろん「普通の人生」に戻りたいと思って自己研鑽をしたことが、いまここにいる自分を助けてくれていることは否定をしません。でも、挫折後の自分を受け入れるという人生もあったのではないか、そういう人生を歩んだほうが、うつ病にもならずに、もっと早い段階で自分が幸せになれたのではないかという思いがあることも事実です。「普通の人生」を歩むことしか幸せになれる道はないと、たいした能力もないぼくを勘違いさせてきたのですから。

とどのつまりぼくは、いい大学に行き、いい会社に就職するという「普通の人生」以外の価値観を知らなかったんでしょう。視野も世間も狭かったですね。あえて他責にしますけれども、われわれは競争に勝ち残り結果を出し、成功を勝ち取るという人生以外のストーリーを、誰かから教えてもらう機会に恵まれていません。でもピラミッドの形を思い起こせばわかるように、数々の競争に勝ち残る人なんてほんの一握りです。みんなどこかで競争から脱落して、それでも生きていかざるをえないわけですよ。そうした人が、どういうことを考え、どういう人生を生きているのか。そして脱落したとしても、脱落もまた人生を豊かに彩ってくれる一つの道であることが人口に膾炙していれば、ぼくはこんなに回り道をしなくて済んだのでしょう。

社会を「競争の場」と捉えるのであれば、ほとんどの人が競争に負ける人であり、競争に負けた後の人生のほうが長いんですよね。 競争に勝ち残るよりも、負けたとしても自分の価値を自ら毀損せずにどう生きつづけるかということが、ほとんどの人が必要としている生き方なのではないかと思います。

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