おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。
週末のエモブロです。突然ですが、ぼくには嫌いな人がたくさんいます。でも嫌いになるのは、その誰かに問題があるんじゃなくて、実は自分に問題があるんですよね。
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人を嫌いになるのはなぜか(ユング心理学の考えから)
そもそも、なぜ人は人を嫌いになるんでしょうか。これについてはユング心理学の大家である河合隼雄先生が『影の現象学』という本で説明していますが、ぼくなりに解釈をして一言でいうと、「自分の影(シャドウ)を相手に投影しているから」というのが理由です。
これだけじゃよくわからないですよね💦順を追って説明しますが、ユング心理学では「影(シャドウ)」という概念があります。「影(シャドウ)」とは、自分の認めたくない部分や、自分が人生の中で生きてこられなかった側面のことなんですが、例えばぼくは「自分の自慢話をする人」が嫌いです。
ぼくは誰かに対して「あの人、たいした能力もないくせに、自分の自慢話ばかりしている。そういうところが嫌いなんだよな」って、ロクな根拠もなく思うんですよ。自分の意思とは無関係に、ほぼ自動的にそう思ってしまう、というのが正確かもしれません。でもそれは、ユング心理学的にいうと、実はぼくの心の奥底では「自慢話をして誰かに褒められたい」と思っているからです。「自慢話をして誰かに褒められたい」と思っている気持ちが、ぼくの「影(シャドウ)」というわけです。もちろん外っ面では、そんなことは出しません。でも誰にも見せない心の底で、ぼくの「影」が、「ぼくはすごいでしょ?ほめてほめて!!」と叫んでいます。
そうした気持ちを抑え込んで生きているのに、現実に誰かが自慢話や武勇伝を語っているのを見ると、「自分はそうした本音(影)を見せないように生きているのに、臆面もなく自慢しやがって。許せない!」という気になってしまうのです。これが投影です。
「投影の引き戻し」が必要……なんだけど
河合先生の言葉を借りると、ぼく自身の影の部分である「自慢して褒められたい」を他人に投影していたことが、誰かを嫌いになる理由である、ということですね。もっと端的にいうと、誰かを嫌いになるのは、その誰かに問題があるんじゃなくて、自分に問題があるんですよね。その誰かは、ただトリガーになっているだけなんです。
でもわたしたちの多くはこうしたメカニズムに気がつくこともなく、「あの人の自慢しがちなところが嫌だ」と攻撃し、自分の中の影(自慢して褒められたい気持ち)を見ないふりをして生きているんですよね。このパターンを、わたしたちはほぼ無意識に、一日に何回も繰り返しています。
誰かを嫌うというのは疲れることでもあるので、できれば止めたいとぼくは思っているのですけれども、修行が足りていないのでそれもなかなかできません。河合先生によると「投影のひきもどし」をしないといけないそうです。
「投影のひきもどし」とは、嫌いな誰かに投げかけていた影を、自分のものとして自覚し、取り入れていくことです。例えばぼくが「自慢して褒められたい」という影を持っているのであれば、その影が原因で誰かを嫌っていることを認識したり、「自慢して褒められたい」という抑圧した欲求を満たしたりすることですね。
しかし正直にいうと、それもなかなかうまくできません。ぼくの場合、自分の影を認めようとしても、「みんな自分の影のことなんて気にせずに好き勝手に誰かを嫌っているのに、なぜぼくだけが自分の影と向かい合わなければならないのか。ずるい」と、別の影――「ずる賢く楽に生きたい」――が立ち上がってくるんですよね……。
距離を置いて投影を発動させない
というわけで「投影のひきもどし」をうまくできないぼくがたどり着いた先は、他人と距離を置いて投影を発動させないという解決策です。まあ厳密には解決ではなく、ただ回避しているだけなんですけどね😅
この策がまずまず効果をあげているから、結局のところ「集団の中で生きていくことができない社会不適合者」になってしまったんですけどね。特にSNSとかやってるとしんどいんですよ。自分の影を刺激するような発言が、じゃんじゃかと勝手に流れ込んできますからね……。
もちろん誰かとつながることに意義や意味、有用性があるのは否定はしませんけれども、ぼくの場合はかなりの確率で投影が発動してくるので、困るのです。
誰かを嫌いになるのは、自分に問題があると認めるのは難しいことだし、その認識に立たなければ自分を取り巻く環境を変えることなどできないというのは、おそらく真実だと思います。でもぼくは弱く、煩悩にまみれた影をたくさんもっていて、この歳になっても影の扱いにほとほと困っています💦そして今日もまた河合先生の本を手にとって、ため息をついています😭
どうしたもんでしょうか?河合先生!!