おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。
大晦日はやはりエモブロで締めたいと思います。みなさんにとってはどんな1年間でしたか?僕は年初に「頑張らない」ということを決めた1年間でしたが、40年以上染み付いた習慣はなかなか抜けないということがわかった1年間でした。
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努力依存症なんじゃないの?
独立・開業をして、この12月で3期目が終わります。3期目になっても経営は安定せず、なんやかんやでバタバタしています。安定しないとは言っても、売上が少ないというのではなく、波があるってことなんですけどね。波が低い時は不安になり、ゴソゴソと何かをしないと気が気でなくなります。
しかもフリーランスになり、自宅で仕事をするようになって、今までよりもいっそう公私の区別がつかない生活になっています。娘を寝かしつけてからも深夜まで仕事をしたり、早朝4時から仕事をしたり、とかですね。
でも
「独立したら、家族と過ごすゆとりができるんじゃなかったのか?」
という思いで悶々とするんですよ。
そういう時、ふっと一息つこうとコーヒーを飲むとしますよね。でもコーヒーを飲んで、あてもなくネットを見ていると、妙な罪悪感を覚えてくるんですよね。
「おい、何サボってるんだよ。もっと頑張れよ」
という声が、自分の中から聴こえてくるのがわかるんです。
子どもが生まれた後、もう「頑張らない」と誓ったはずなのに
子どもが生まれた後、生活が一変したこともあって、精神状態が不安定になりました。心療内科に通ったり、カウンセリングにいったり、泌尿器科で男性ホルモンのバランスを検査してもらったり、いろいろとやっていくなかで、
「頑張らない」
「誰かの期待には応えない」
「他人や世間の評価軸を生きない」
「失敗してもうまくいかなくても、自分の価値はゆらがない」
ということを心がけて生きようと決意したにもかかわらず、努力していない自分は無価値だ。独立したら結果が全て。結果を出さなければ評価されないのだ、という思いがたびたびよぎってくるんですよね。
努力は美徳ではあるけれど、努力をしつづけることははできない
「努力は美徳ではあるけれど、努力をしつづけることはできない」というような言葉をどこかで聞いたことがあります。
言葉の意味はよくわかるけど、僕の場合、あまり実感をもってこの言葉の意味を理解できないんですよね。それは、頑張りつづけなければ自分には価値がないという思いに囚われているからでしょう。
いやもちろん、手を抜いたりサボったりすることは当然にあるんですけどね? 走りつづけていないと罪悪感を覚えるというのが僕の性分のやっかいなところなんです?しかしカラダは正直なもので、手抜きやサボりを求めてしまいます。誘惑に負けて手抜きやサボりをすると、罪悪感に苛まれ、無価値感に襲われるんです。そうしてまた全力疾走しはじめるのだけど、疲れて手抜きやサボりをしたくなる。この無限ダウンスパイラルに巻き込まれてしまっています。
あーあ、いつになったら頑張らない自分になれるんでしょうね。
来年こそなれるかな?
来年はもっと「頑張らなくてもいい自分」になることを、頑張らないと!(本末転倒)