おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。
いやあ、陰鬱なニュースが多くて嫌になりますね? こういうときは無理にでもポジティブに振る舞おうと思うかもしれませんが、かえって逆効果になるかも?という僕の失敗談を紹介したいと思います。
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「ありがとうを数える人」
5年くらい前の話なんですが、どこかの講演会みたいなところで、「ありがとうを数える人」に会ったことがあるんですよ。
「ありがとうを数える」と言われてもなんのことかわからないだろうけど、具体的に言うと、数取器にネックストラップをつけ、なにかあるたびごとに「ありがとう」とつぶやき、数を取る、ということをしている人なんですよ。
(イメージはこんな感じ)
数取器とは、日本野鳥の会が使っているようなアレのことですね。
「なにかあるたび」に数を取るのですが、「なにか」というのは、具体的には次のようなことらしい。
数取り基準
- 何かあったらありがとう
- 誰かから嬉しいことをしてもらったら、心の中で「ありがとう」と言ってカチッとボタンを押す
- 何もなくてもありがとう
- (例えば電柱や信号が役目を果たしているだけでも)心の中で(電柱や信号に対して)「ありがとう」と言って、カチッとボタンを押す
- 何かあってもありがとう
- (トラブルや嫌なことがあっても)それが与えてくれる経験や気付きに「ありがとう」と言って、カチッとボタンを押す
僕がこの人の講演を聞いて惹かれたのは「これをすると怒らなくなった」ということを話していたからです。この頃僕は些細なことに腹を立てては周りを不快にする困ったマンだったんですよ。数取器をつけて「ありがとう」というだけで怒りがなくなるなんて楽でいいやと思ったので真似ることにしたんですね。
最初はまずまずの効果
行動を変えると意識も変わる、なんてことを言う人がいるけれども、僕も最初の頃は確かにそうでした。腹が立つことがあっても「ありがとう」とつぶやけば、物事を多面的に見る必要が納得できるような気がしましたからね。
電柱を見上げて「電気を送ってくれてありがとう」とつぶやけば、この世の万物にも役割があって、何一つムダなものなどない、という気持ちに確かになったんです。だから、
「おっ、これはイケるんじゃない❗❓」
と、その効果を確かに感じていたんですね。
でも、「ありがとう」のカウントが1,000回を超えたくらいでしょうかね。だんだんと「なんで俺はこんなことやってるんだ❓」という気持ちになってきましてですね……?
なぜ僕だけが感謝しなければならないのか
何が嫌になってきたかというと「なぜ自分だけが感謝しなければならないのか」ということだったんですね。
例えばですが、この頃は配偶者様から家事や育児のやり方について、いろいろとご指導を頂いていた時期なのですが、
「洗濯物のたたみ方が違うでしょ❗」と言われても、数取器を押しながら
(奥さま……洗濯物のたたみ方を教えてくれてありがとう)
とつぶやいていました。
会社でも、会議でアイデアを出しても、僕は一番年下で後輩の僕の意見は受け入れられることは少ないんですよ。それどころかしょっちゅうダメ出しされるんですが、それでも
(先輩の貴重なご意見、ありがとう)
などと思いながら、数取器を押していました。
でもだんだんと「みんな、僕に好き勝手なことを言うのに、なぜ僕は好き勝手なことを言えず、ただ感謝して受け入れなければならないのか」というモヤモヤした気持ちに覆われるようになって、余計に怒りに囚われてしまったんですよね?
やがて「もういいや」という気持ちになって、数取器は捨ててしまいました。
自分が納得していないことを続けることは苦痛
確かに行動を変えると、何かしらの反応が心に生じるのは間違いありません。僕の場合も、最初は新鮮だったんですよね。でもだんだんと「なぜ僕だけが」という気持ちになりました。
このテクニックを講演会で披露してくれた「ありがとうを数える人」にとっては、このやり方はきっと有効なのだろうと思う。話を聞いていても、そこに嘘や誇張があるような気はあまりしなかった。
おそらく、当時の僕ほど怒りに囚われていなかったのだろうし、感謝の気持ちを表明することで自分の人生が変わりそうな予感や前経験を、そもそもその方は持っていたのだろうと思う。だから「ありがとうを数える」という行動が、最後のひと押しになって、その人の人生を変えることになったのではないかと思います。
その人にとって、最適なタイミングで、最適な方法に出会えたのだと思います。
そして、僕はそうではなかった、ということですね。
安易に自分の感情を偽装してはいけない
この話を、僕が月イチで通っているカウンセラーさんに話したら
「そりゃあ表面的な行動だけで気持ちが変えられるのならば、苦労はしませんよね」
とさらっと他人事のように言ってくれました?
(僕の気持ちを汲んで、受容してくれたのかもしれないけれども)
そこからカウンセラーさんと、怒りを味わい尽くす、感じ尽くす、ただ眺めるという訓練をするようになったんですけどね。「怒りを味わい尽くす」とは何なのかと一言で説明すると、ネガティブな感情にフタをせず、ひたすらにネガティブな感情を出すがままにして、それを見つめるという訓練なんですけどね。これをやると、怒り自体はなくならないけれども、怒りが早く収まるようにはなりました。
この一件で思ったことは「安易に自分の感情を偽装してはいけないんだな」ということでした。ネガティブな感情だって自分のものなんですよ。それを自ら否定して無理やりポジティブであろうと思ったところで、ネガティブな感情は消えることはないのです。見えないようにフタをされてはいるけれども、実はフタの下で腐臭を放っているのです。
本当は傷つき、怒り、悲しんでいるのに、それをなかったことのようにされて傷つくのは、他でもない自分自身ですからね。ネガティブな感情はポジティブ思考で塗り替えるのではなく、ネガティブな感情をしっかりと受け止めて成仏させてあげたいものです?