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常識に囚われて大事な人により添えなかった僕の阪神淡路大震災

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おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。

今日で阪神淡路大震災の発生から25年を迎えました。当時の僕は神戸市須磨区で被災しました。実は被災直後、とんでもない失敗をしたんですよね。それで大事な人の信頼を失ってしまいました。この日が来るたびに苦い気持ちとともに思い出されることをお話したいと思います。

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揺れの直後、彼女から電話が

揺れがきたのは早朝で、僕は自分の部屋で一人で寝ていたのですが、実はあの揺れの中でも実は目が覚めずに寝続けていまして……? 言い訳ですけど、僕が住んでいたのは須磨区といえども山の向こう側だったので、被害が激甚だった地区に比べると、揺れも多少弱かったのではないかと思っています。事実、僕の住んでいたアパートの周りでは、倒壊家屋は一切なかったですしね……。

で、揺れがあった直後、当時付き合っていた彼女から電話があったんですよ。当時、彼女も僕も一人暮らしをしていたのですが、彼女は被害が激甚だったところに住んでいました。

い、今の何だったの?
たぶん地震だと思う。大丈夫だった?
なんとか。それよりね、部屋がすごいことになってる。電気がつかないからよくわからないけど、家具が散乱して足の踏み場もないみたい。
それとね、近くで火事が起きてるみたい。叫び声も聞こえてくる。ねぇ、どうしたらいい?
とにかく落ち着こう。火事もきっと消防車が来てくれるだろうから、心配しないで。危ないからそこにいるんだ。あまり出歩いちゃいけない。
なんだか怖い。ねぇ、助けにきてくれないの?
そう言っても今日は授業だし、僕には原付しかないから、迎えにはいけないよ。大丈夫だから、心配するなよ。

という具合で、消防車が来るから、授業があるから、原付では二人乗りできないから、という至極常識的な理由で、不安がる彼女をことごとく否定する僕なのでした?

被災地にいながらも重大さに気づくのが遅れた

僕が被害の重大さに気がついたのは、かなり後になってからです。近所に住む友人がラジオを持っていて、それを聴かせてもらっていたのですが、ラジオから入ってくる情報に愕然としたんですよ。

「……須磨区の○○病院では、六階建ての建物が五階になっています。繰り返します。須磨区の……」

僕は、ラジオが何を伝えようとしているのか、全く理解することができませんでした。六階建ての建物が五階になっていたら、無くなった階にいた人はどうなっているのか。

やがて昼過ぎになり、電気が復旧しました。急いでテレビをつけると、大きく倒壊した阪神高速や、天井が崩れた三宮のセンター街の映像が映しだされました。テレビでは、神戸震度6というテロップが大きく映しだされていました。

(余談ですが、当時の震度7は即時に観測されるものではなく、地震の被害を測定し、後日認定するというのが決まりでした。この震災を契機に見直されましたけどね)

彼女の部屋へと動き始めたのは、揺れてから7時間も経ってから

映像を見て愕然とした僕は、近所に住む友人の家へ急ぎました。友人は250ccのバイクに乗っていて、彼のバイクを使えば、彼女を二人乗りさせられると思ったからです。この時点ですでに最初の揺れから7時間近くがたっていました。

(ここでもまだ二人乗りにこだわっている僕)

彼女の部屋に向かう途中に見た光景は信じられないものでした。彼女の住む地域では、木造家屋のほとんどは崩れていて、道端には横たわる人や膝を抱えてうつぶせる人、呆然と道を歩く人、泣き喚く人など、普段絶対に見ることのない光景が広がっていたのです。

彼女の部屋にたどり着くと、彼女は部屋でじっとしてました。コンタクトレンズをなくしてしまったので、ほとんど身動きが取れなかったようでした。

思わず僕は

遅くなってごめん。君のところの近所がこんな状況だとは思わなかったから……

そう言い訳をした瞬間、そんなことは言わなければよかったと後悔しました。僕は彼女に責められても仕方ないと思っていましたし、あんな場面に遭遇して、約束もなく7時間もただ待たされて、本当に心細かっただろうとそこでようやく気がついたんですよ。僕はただひたすらにごめんと謝るしかできませんでした。彼女も、僕の行動が遅かったことに対して、納得できないようでした。そりゃそうですよね……。

(これも余談ですが、ここで信頼を失ったことが、後日彼女と別れる要因の一つになったと思います)

常識にとらわれて行動できない僕は批難されるべき

振り返って思うことですが、僕は起きたことの重要性がわかっていませんでした。これだけの非常時なのに、僕は原付は二人乗りをしてはいけないだとか、授業があるから助けにはいけないだとか、日常の延長線上でしか事態を解釈することができませんでした。(注:非常時の原付二人乗りを推奨しているわけではなく、まずは駆けつけるという選択のことを言っています)

彼女はというと、震災の被害が甚大だった地区に住んでいて、近くでは亡くなった方やけが人もたくさんいたわけですよ。一方、僕のところの被害はそうでもなかったのですが、そのギャップが僕たちの意識のずれを生んでいたのでしょう。だから彼女の置かれている状況に対する想像力がなく、寄り添うことができなかったんですね。

阪神淡路大震災の初動については、政府や行政の対応の遅れが今でもよく批難されるのですが、僕も自分の思い込みで行動がとれず、初動が遅れたという点では批難されてしかるべきでしょう。

その後の日本では、東日本大震災や台風・豪雨災害が相続いています。こんな浅はかな僕の想定や想像を超えることなど、何度でも繰り返し起きるんですよ。「常識」は平時には大切にしなければならないことですが、非常時に行動しない言い訳として「常識」を持ち出してはいけない――そう思い起こさせる25年目の朝でした。

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