おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。
週末のエモブロです。明恵上人とは、鎌倉時代初期の偉いお坊さんで、僕の推し高僧の一人。20歳前後のころからの推しなんですけど、ちょっと最近推しへの愛が揺らいできたように思います。
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明恵上人とは
明恵上人はとにかく修行が命。そして禁欲的。権力に媚びない。お釈迦様愛がものすごい。全てを捨てて天竺まで行って、お釈迦様の教えの真髄を学びたい!と、計画を練り練りする日々(結局は行けなかったのだけれども)。僕たちが想像する、いわゆる「徳の高いお坊さん」を地で行くような人だと思ってもらえたらいいですかね。
超人的なエピソードがたくさんあるんですけれども(予知能力があったり、7人前だか8人前だかのご飯をペロっと食べちゃうとか😅)、その割に犬とかリスとか小鳥とか、小動物好きなところがあったりと、とにかく多様な側面を覗かせる魅力的なお坊さんなんですよ。
この魅力的な明恵上人の教えの中核には「あるべきようわ」という考えがあります。
これはなかなか難解な考え方なのだけれども、「あるべきようわ」とは「人によって異なる立場・役割について、模範とすべき基準・原則があるならば、それに自身の恣意的解釈を施さず従い、為すべき事を為し、為すべきでないことは為さずにあれ」との意味なんだそうで。これは法然の他力本願(南無阿弥陀仏を唱えていれば救われる)や、仏教界全般の堕落を批判していると解釈されるケースが多いと言われています。法然と明恵は積年のライバル関係なんですよね。
つまり僧ならば、やるべきこと(お釈迦様がしたような厳しい修行)をすべきということ。同様に、人にはそれぞれ役割ってものがあるのだから、ブレずに役割をまっとうすべきだ、と言っているのだろうと思う。僕の若い頃はこの純粋な考え方に共感していて、苦しいながらも自分を追い込んでいく時の励みにしていたました。
まあそうなんですけど、今あたらめて「あるべきようわ」に触れると、ちょっと堅苦しいなあと思ってしまいますね😅
明恵の積年のライバル、法然
最近はどちらかというと、明恵上人のライバルだった法然の考えに共感しそうになります(上人ごめん🙏)。法然の考えを詳しく解説できるくらい知っているわけではないんですけど、僕が理解している内容をかんたんにいうと「とにかく念仏(南無阿弥陀仏)を唱えさえすれば誰でも救われる」という考えなんですよ。これって今風に言うとマインドフルネスっぽくて、「今ここ」に集中して、将来の不安を解消し、感情を安定させようということなんじゃないかと言う気もしてきます。
この教えは、当時の仏教界を揺るがすくらい革新的なものでした。法然はそれを民衆に説いてまわっていたわけなんですけど、お釈迦様ラブ&ストイックな明恵上人からすると「そんなの仏教じゃないだろ」「僧侶なら僧侶らしく修行すべき」と言いたくなる気持ちもわからないでもありません。明恵上人だけではなく、当時の鎌倉新旧仏教界では、法然に対する批判がものすごかったようです。うがった見方をすると、業界の常識破りをした同業者批判っぽいですよね😅
ブレまくってストイックに生きられない弱い僕
でもですよ。若い頃は僕も明恵上人の考えに共感していろいろ努力してきたんですよ。学生の時は学生らしく、社会人になっても社会人らしく、自己研鑽に励み、会社の方針に従い、自分が求められる本分にしたがって「あるべきように」生きてきたんつもりなんですけど、それで自分が幸せになるどころか、うつになったり家族や会社の人とうまく行かなくなったり、「あるべきように」生きていない人に対してイライラしてしまったりしていたんですよね。で結局、どうやってそうした閉塞感を打破できたかというと、「あるべきように」という自分の外側にある価値観に従って生きるのではなくて、自分の「こうしたい」「ああしたい」という内なる声を聞きながら、今目の前にあるこの瞬間だけを見つめて生きるという方法で(今のところは)乗り切っています。明恵上人の言っていることが間違っていると言いたいわけではないですけど、法然上人の言う「いろいろ不安はあるだろうけど、南無阿弥陀仏に集中してみようよ。楽になるよ」という考えもよくわかるんですよね。
「あるべきように」にしたがって、ブレないようにストイックに生きるのが大切なのはわかるけど、僕はブレてストイックには生きられない弱い人間なのだとわかってしまったんですよね。それどころか、僕のこの世界における「立場」「役割」が一体何なのか、歳を取るたびごとにだんだんわからなくなってきました。いや、もしかしたらそうしたものはわからなくても、ただ南無阿弥陀仏を唱えていれば(≒いまここを生きるようにすれば)いいのかもしれませんけど。
そんな感じで今は法然上人の考えに共感しつつある僕ですけど、また10年後とか20年後とかになったら、明恵上人の言うことももっとよくわかるようになるんですかね。また高山寺に行って、明恵上人と対話しないといけないな。