おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。
週末のエモブロです。昨日娘氏と、劇場版ドラえもんの新作を見てきました。この映画の原作と1985年に公開された映画は、ぼくが子どものころに何度も繰り返し見た思い出の作品です。映画を見ていていろんなことを思い出しました。
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ぼくが初めて一人で&繰り返し観に行った映画
今回観たのは「ドラえもん のび太の宇宙小戦争2021」なのですが、1985年に公開された映画(この映画のリメイク前の作品)は、ぼくが初めて一人で劇場に観に行った映画でもあり、しかもハマってしまって繰り返し観に行った映画なんですよね(といっても劇場で観たのは2回だったと思いますけど)
当時のぼくは小学5年生でした。男の子としてはまだ思春期にも入っていない完全な子どもなんですけど、この映画の何かがすごく琴線に触れたんでしょうね。原作の単行本も何度も何度も読み返してましたから。
小学5年生の頃は、家族仲(というかぼくの両親の仲)がほぼ最悪だった時期でした。両親が夜中に罵り合うのを聞かされるわけですよ。当然、聞きたくない言葉も多く含まれています。子どもだったぼくは、怖くてずっと飼っていた犬のそばを離れることができませんでした。そういう中で出会った作品でしたので、今振り返って思うことではありますけど、「ここではないどこか遠くに行って、そこで優しい人たちと一緒に、自分の価値を確かめるような居場所をつくりたい」という思いを作品に投影していたのかもしれません。
今見るとかなりドライでシビアな映画
今回のリメイク版を見るにあたり、何十年ぶりかに1985年公開版もネット配信で観たんですけど、今大人になって見ると、驚くくらいドライでシビアな映画だなあと思いました。
ドラえもんやのび太たちは、「どこか遠くの、聞いたことのない星の戦争」に、パピへの親近感から(もちろんスモールライトを奪われたとい理由も大きいですけど)、結構すんなりと介入していくんですよ(ただしスネ夫だけは別で、第三者的に戦争を捉えている)。しかし相手は、反乱軍とは言えども80万人もの組織からなる軍隊であり、クーデターで政権奪取したことからもわかるように、「戦なれ」しているんですよね。だからドラえもんやのび太たちは徐々に追い詰められていくんですよ。
最初はそれほど深刻ではなかったのに、追い詰められたドラえもんやのび太たちが「出征」していくんですよね。出征するということは、それが自分の死か、もしくは敵方を殺傷するかという2つの点で「死」を覚悟せざるをえないといことなんですけど、「ドラえもんたちにそんな覚悟をさせるの?」って大人になってここにすごく驚きました。いや、ドラ映画としては王道の展開なのはわかっていますが、この作品はタイトルにも「戦争」という言葉が採用されていますし、序盤の特撮戦争映画のシーンからも、戦争がテーマなのは明白なので、改めてこういう驚きが生じてしまいます。
一人の親の目線としては「子どもを戦争に巻き込んで、何が大義なのか」という感情さえも湧き上がります。さらに親目線として心配になるのは、当事者のドラえもんたちが(スネ夫は若干懐疑的ではある。これがこの物語にバランスをもたらせている)、それを「正義」と信じて疑わず、渦中の人になってしまう点です。
その「正義」も個人によってバラツキがあって、ドラえもんとのび太はパピを最初に匿ったという責任感から、しずかちゃんは自分のせいで皆を危険な目に合わせたという負い目から、スネ夫はしずかちゃんを危険な目にあわせられないという良心から生まれてるんですよ。ジャイアンはもっと真っ直ぐな、悪い奴はゆるせないという理由からですね。このあたりは戦争にコミットする動機として、すごくリアルな描写だと思います。
もともと物語の始めには、皆で嬉々として特撮戦争映画を作ろうとしていたんですよ。戦争が、迫力のある勇ましい娯楽として位置付けられていて、そこに出来杉くんまでも関与することで、戦後の現代に生きる我々が、戦争を娯楽として消費することが、コンセンサスとして描かれていたはずです。
この物語はしかし、なんですよ。個人としての動機がいかに「正義」であったとしても、娯楽的要素もいくぶんに含んだ「どこか遠くの戦争」だったものが、急速かつ容赦なく身の回りに迫ってきて、そして自分が死に取り囲まれるという救いのない物語なんですよね。「本土決戦要員」であったはずのしずかちゃんまで出撃を余儀なくされる悲劇なんですよ。しかし映画では最後は当然に救われます。ここでようやく戦争の悲劇から冒険譚へと転換し、冒険譚としてのカタルシスが満足されるわけです。テーマに二重性をもたせた原作のプロットが本当にすごい。
この点ではリメイク版はどちらかというと冒険譚、友情譚という側面が強化されている印象でした。なのでエンディングも、冒険譚としてこの物語を語りたくなっている5人の姿で締められていましたが、一気呵成に日常に侵食する戦争を描いた作品としては、最後の5人の態度、特にスネ夫の態度は是々非々であってもよかったかなと思います(例えば映画『二百三高地』のエンディングのように)。まあそうなると、もはやドラえもん映画じゃなくなるかもしれませんけど。
このあたりが、1985年と2021年の、戦争との距離の違いなのかもしれません。公開が延期された2022年には、戦争がかえって身近になってしまったというのは皮肉でしょうけれども。
まあ小学5年生のぼくは、こんなことを考えて作品にのめり込んでいったわけではないとは思いますけどね。単純な冒険譚として楽しんでいたように思います。でも大人にとってもじゅうぶん見ごたえがある原作・映画になっているので、こうした作品を描けるF先生ってすごいですよね。
リメイク版にうちの娘氏はどう反応したかって?「面白かった」とは言っていましたが、あまり感銘や衝撃を受けたようには見えませんでした。まあそれは仕方ないことです。しかし彼女が大人になってこの作品を見返したら、また違う感想を抱くのではないかとも思います。そういう力をもった作品ですよね。