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【僕の平成ネット史】阪神・淡路大震災時にニフティーサーブで情報収集をした話

https://imamura-net.com

おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。

今日は平成7年に阪神・淡路大震災が起きてから24年目の「あの日」です。僕は当時、神戸市内に住んでいて被災をしたのですが、ネット(ニフティサーブ)で情報収集をしていました。平成最後の今年、当時のネットについて振り返ってみたいと思います。

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平成7年1月時点の僕のパソコン環境

当時僕は、アップル社のPowerBook520というパソコンを使っていました。英語版のWikiから引用しましょう。こんなやつです。

https://en.wikipedia.org/wiki/PowerBook_500_series

これを買ったのが1994年の春。当時のバイト先の先輩から勧められて、バイト代を全額突っ込んで買ったのでした。たしかモデムやら統合ソフト(クラリスワークス)やらなんやらを全部含めて、20万円下のではないかと思います。これだけの金額なのに、白黒ディスプレイなんですよ? もちろんカラー液晶のものもあったのですが、予算オーバーで買えなかったんですね。ちなみにこの年、Windowsはまだ3.1でした。

同じようにバイト先の先輩に進められて、モデムも買ってニフティサーブというパソコン通信に入会をしました。僕は実のところ、小学生の時に友達の家でPC-VANをやっていたことから、パソコン通信はよく知っていたのです。バイト先の先輩がニフティのどっかの掲示板のサブシスオペをやっていたこともあり、強烈にニフティを勧められたのでした。ちなみにアクセスは14,400bpsのモデムでのダイヤルアップでした。

阪神大震災とインターネット

近頃NHKで放送された「平成ネット史(前編)」でも触れられていましたが、阪神大震災は、通信手段が失われた被災地での、情報発信インフラの一つでした。

当時の行政としての神戸市のインターネット網はどうなっていたかというと、僕の母校(神戸市外大)がネットワークの拠点だったのです。どうもうちの母校の情報ネットワーク分野の教授が神戸市のネットワーク構築に一枚噛んでいたようです。幸いにして僕の母校は神戸の中心部からかなり外れたところにあり、震災による大きな被害はありませんでした。被災地域情報や避難所一覧の情報を母校から発信していたようで、それがインターネットの知名度を高める一因でもあったのだと思います。

1月17日、当日の朝

自宅で寝ているところを被災した僕は、停電していることに気がつきました。停電をしているので情報を得ることができません。ラジオも持っていなかったのです。そこで情報源として、ニフティへアクセスをしました。

神戸市内のアクセスポイントは、もちろん接続が不可。停電の影響なのか、電話回線の輻輳の影響なのか、それとも物理的に機器がダメージを受けたのかはわかりません。しかたなく僕が接続したのは、北九州市のアクセスポイントでした。なぜ北九州市なのか?と言われると自分でもよくわからないのですが、あまりにも情報がなく(地震の全体的な被害状況がわからなかったため)、北九州ならば大丈夫だろうということで、適当に選んだのだと思います。

ニフティで最初に接続したのはCBシミュレーターでした。今でいうところのチャットですね。当時はリアルタイムに情報を得ようと思うと、CBが最も適切だったのだと思います。フォーラムごとにRTというフォーラム専用のチャットはありましたが、あくまでもフォーラムごとですので、RTだと情報が少ないと思ったのでしょうね。

被災地からのアクセスは僕だけだった

被災状況を知りたかったのですが、被災地からのCBシミュレーターにアクセスをしたのは僕だけだったようです。接続したのが、おそらく当日の午前8時頃で、揺れて間もないころだったというのもあり、被災地からのほぼ最初のアクセスだったのではないかと思います。

CBには、全国各地から、被災地にいる家族や知人の安否を気づかう人がいました。ですので、僕もそのような人から質問攻めを受けたことを覚えています。例えば「〇〇区〇〇町に友人がいるのだが、その地区の状況を教えてくれ」というようなものばかり。残念ながら、ほとんどの質問に答えることはできなかったように思います。今から思うと、現代のツイッターのような使い方をしていたのだなあと思います。その質問の中で一件だけ、僕の自宅から原付で5分くらいの地区の状況を求める声がありました。その声にだけ応じて、原付で状況を見に行ったことを覚えています。

その後、ニフティでは震災情報専用の掲示板が設置されて、安否情報や交通情報がやり取りされるようになったと記憶しています(この掲示板で、うちの大学の教授の安否を確かめることができました)。調べてみると、ニフティサーブで地震情報専用のメニューが臨時開設されたのは、当日の午後1時頃だったようです。僕のCBシミュレーターの体験は、それよりも少し前のことになるのでしょう。

ところで、この時に北九州市のアクセスポイントまで長距離電話で接続をしていたので、とんでもない額の電話料金の請求がきたのは言うまでもありません? それから考えるとネットワークは、水を使うかのごとく、当たり前のインフラになったなあと言う感じがします。24年という時間の重みを感じます。

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