おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。
感染症対策専門家会議は5月4日、「行動変容」という言葉を用いて、新型コロナウイルス感染症への予防的行動を取ることを「お願い」しました。この「行動変容」とは一体何でしょうか?そして専門家会議の「お願い」の何が問題でしょうか。
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専門家会議による「行動変容」のお願いについて
感染症対策専門家会議は5月4日、記者会見を開き、「行動変容」という言葉を用いて、国民に対して新型コロナウイルス感染症への予防的行動を取ることを「お願い」しました。(この動画の10:11以降)
この会見では、①対人距離を2m取ること、②手を洗うこと、③マスクをすること、3点を頭の中に入れて、それぞれの場面(生活や仕事、スポーツ等の場面)で「うまく活用してください」「工夫をしてください」というお願いがありました。もう少し踏み込んで言うと、業界団体を主体に、業種ごとの感染拡大予防のガイドラインを作成してくれというお願いもありました。
5月4日の専門家会議では「「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」として、次のような実践例も挙げています(厚生労働省資料)。
例えば「買い物」に関しては下記のように「例」を挙げていますが、ずいぶんと具体的です。
- 通販も利用
- 一人または少人数で、すいた時間に
- 電子決済んお利用
- 計画を立てて素早く済ます
- サンプルなど展示品への接触は控えめに
- レジに並ぶ時は、前後にスペース
そもそも「行動変容」とはなにか?
学部レベルの僕の知識で恐縮ですが、本来は「行動科学」(behavioral science)という学問分野の用語です。「行動変容」(behavior modification)という言葉の初見はEdward Thorndike(1911)と言われていますが、そこから長い時間をかけて研究が進み、1970年代から80年代にかけて学問分野として確立してきました。「行動変容」の効果が認められる分野はたくさんあるのですが、例えば注意欠陥多動性障害(ADHD)の子供の行動を変えることや、犯罪者が再犯することを予防する分野などで効果があるとされています。
健康や公衆衛生の分野にも応用されており、1980年代前半にプロチャスカらが提唱した「変化ステージモデル」が有名です。このモデルは禁煙の研究から導かれたモデルですが、厚労省のe-ヘルスネットでも紹介されています。(余談ですが、プロチャスカは"behavior change"という言葉を使用しています)
行動科学の分野で使われた「行動変容」という言葉は、医療関係者やカウンセラーなどの支援者が、どういう働きかけを行えば、対象者の行動が変容するか、という議論が中心でした。少なくとも対象者に「行動変容せよ」と押し付ける道具ではありません。
上記の「変化ステージモデル」においても、対象者はいくつかの心理ステージを経て行動を変容するけれども、どういう働きかけがそれぞれの段階において有効か、というものを示したモデルです。そして「行動変容」を効果的なものにする上で重要なのは、褒めること、認めること、肯定すること、励ますこと等と言われています。耳の痛い言葉を投げかけることも否定はされていませんが、例えばKirkhart, Robert; Kirkhart, Evelyn (1972)よると、耳の痛い言葉(complaint)1つを言う場合は、その上で5つ褒めることが望ましいとするなど、やはり肯定的な働きかけと併用が重要としています。罰を用いて行動変容を促すことが有効だと主張する研究者はほとんどいないと言ってよいでしょう。
「お願い」だけでは行動は変容しない。人の行動を変えるには環境整備が不可欠。
例えば「喫煙」という習慣は、かなり「行動変容」に成功したといえます。成人男性の喫煙率は、ピーク時(昭和41年)の 83.7%と比較すると、約50年間で56ポイント減少しています。僕も昭和の人間なのでよくわかりますが、昭和の終わりくらいまで「大人の男の人はタバコを吸うものだ」と思っていましたからね。
喫煙率が低下してきたのは決して「お願い」だけではありません。もちろん「お願い」もありました。昔はテレビコマーシャルなどで「健康のため吸い過ぎに注意しましょう」というお願いだったんですよね。「お願い」の効果を全否定するつもりはありませんが、効果をうんだのは「お願い」だけではありません。法整備(健康増進法の制定・改正)や、タバコの値上げもあるでしょう。歩きタバコは罰金という路上喫煙禁止条例もありますし、映画やドラマなどでは喫煙シーンも描かれなくなりました。無論、喫煙が健康に有害であることを示す科学的なデータにも要因はあるでしょう。
もちろん、こういった制限や罰だけではありませんでした。2008年からは禁煙補助薬は保険適用となりましたし、禁煙外来はカウンセリングの手法を取り入れることによって、禁煙したい人に寄り添う仕組みが確立されました。ここまでやってようやく喫煙習慣は行動変容を起こしましたし、違った見方をすれば、ここまでやってもまだ成人男性の3割は行動を変容していないという見方もできます。有り体に言えば、人の行動を変えるということは、相当困難なのです。
ところが「お願い」で人の行動が変わると思っている人はとても多い
僕は経営コンサルタントという仕事をしている関係上、そこで組織の人々の「行動変容」を支援することがよくあります。支援の場で思うことは、やはり「人の行動を変えることは相当困難である」ということなんですが、人の行動を変えることが困難なことだと気づいていない人はとても多くいる印象です。
例えば経営者や管理者の中には「いつも部下には○○しろと言っているんだが、ぜんぜんやる気がない。まったくうちの社員はみんなそろって意識が低い」という人がいます。こういう人は立場ある人が「行動を変えてほしい」というお願いをすれば行動が変わるはずだと素朴に思っているのでしょう。確かにそのお願いで行動を変える人はゼロではありませんが、お願いだけで組織全体の行動が変わることは、僕の経験則からいってもまれなことで、環境整備との組み合わせが必須です。
しかし行動を変えない人を「意識が低い」とレッテルを張り、その人間性を値踏みするかのように低評価を与える人は必ずいます。むしろそういう人が組織において多数派である印象すらあります。
専門家会議の「お願い」も、環境整備を伴う必要がある
ここで専門家会議のことに話を戻したいと思います。
今回の専門家会議で使われている「行動変容」という言葉は、単なる「お願い」であるという印象を強く覚えます。こういう「行動変容」を国民が行うことに対して、環境整備や支援的な関わりについて言及がありません。本来、行動科学の分野における「行動変容」は、支援者の関わり方が重要であるはずなのですが、専門家会議の論点は、一方的に対象者である国民に対して「このように行動を変えてください」という「お願い」を投げているだけに聞こえます。
この「お願い」で行動変容する人も確かにいるでしょう。しかし行動を変えるかどうかは人によりますし、お願いだけで全国民が足並みをそろえることなどありえません。行動を変えない人を「意識が低い」とレッテルを張る人もやがて出てくるでしょうし、昨今の「自粛警察」という言葉にも見られるように、不当な批難を受けることも想像できます。喫煙者の中には否定的な人事評価や就職差別をうける人がいるように、行動変容する人としない人との間に分断が生まれる可能性すらあります。
「行動変容」が今ここで我々に必要であることに僕は異論はありません。しかし専門家会議は、本気で「行動変容」を進めたいのであれば、「お願い」だけではなく、こうした環境に対する整備の方針も述べるべきです。そのつもりがなければ、科学的な学問分野として確立した「行動変容」という言葉を、安易に使っていると批判されても仕方ありません。専門家会議のメンバーには公衆衛生の専門家もいるはずですから、「行動変容」の難しさや本来の意味を知っている人はいるはずです。科学的なアプローチに基づいて手を打つ提言がこそが、専門家会議の役割ではないでしょうか。