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【組織における大人のいじめ考】僕の高校でも教師間のいじめがあった

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おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。

小学校教師による同僚へのいじめについてのニュースが世間を賑わせています。僕の話ですが、僕が高校生のときにも、教師間でのいじめがあったことを思い出しました。なんでこんなことが起きるんでしょうね。

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仲間はずれにされているらしい英語教師の噂

なにぶん30年近く前の話ですし、当時は生徒という立場から見聞きしたので、情報の信憑性は保証できないうえでお話をしたいと思います。当時、僕の通っていた高校では、とある英語の先生が、他の先生たちから仲間はずれにされているらしい、という噂が飛び交っていました。

高校生の噂話ですからどこに根拠があるのかもわかりません。ただし「どうもこの噂は本当かもな」と思う出来事があり、ある時から僕の担任でもあった化学の教師が、課外に英語を教え始めたのです(正規の英語の授業の時間は、くだんの英語の先生が教えていたにも関わらず)。で、化学教師は、その英語教師の教え方について、我々生徒の前でたびたび非難めいた発言をしていました。

その後まもなくして、くだんの英語の先生は休職しました(正確に言うと産休に入りました)。

組織運営としてかなりまずいやり方

ちゃんとした英語の先生がいるにも関わらず、課外とはいえその先生を抜きにして、化学の教師が英語を教えるって、組織としてやっちゃいけないことですね。しかも部外者が専門家の教え方の非難までして、英語教師の面目丸つぶれですからね。そうなると当然、生徒の側にも「あの先生じゃダメなんだ」ということが伝わっていきます。ですので、くだんの英語の先生の授業は荒れはじめます。表立って騒いだりはしませんが、先生をからかったり居眠りをしたり、授業中に他の教科の勉強をしたり、というのが常態化してきます。

英語教師の専門性を否定するような真似をするとこうなるというのは、教育現場のプロであれば容易に想像がつくのではないかという気がします。それをあえてこういう行動に出たということは、やはり教師同士の間で何かがあったのだと思います。

「正義」のためにいじめをしていたのではないかという仮説

今となっては真相は闇の中ですが、なぜこんなしょうもないいじめを教師がしていたのか、というのは興味深いところです。これは僕の勝手な想像ですが、いじめをする教師にとっての「正義」が発端になっていたのではないかと思っています。

僕が通っていた高校は、地方の私立の偏差値の低い高校でした。その高校に「特進クラス」というのができて5年目くらいに僕が入学したのでした。「特進クラス」を設けた学校側の狙いは、成績優秀な他校と同等レベルにまで特進クラスの進学率を引き上げて、生徒を確保しようというものだったのでしょう。ちょうど僕が入学したときには、5年目にして初の東大合格者がでるかどうか、というレベルでした。

昭和から平成になったとはいえ、当時の地方私立高校で、生徒の成績を上げるとなると、スパルタ&詰め込みを徹底させるくらいの方法論しかありません。したがって僕らも毎日8時間目まで授業があり、土日も夏休みもほとんどなく、テストの点が悪いと殴る蹴るは当たり前、という環境で、文字通り「強いられて」勉強をしていました。

そんな中でも、英語の成績というのは、特進クラスを総じて見ても良くはなかったのです。僕の周りの生徒はほとんど英語を苦手にしていました。他の先生たちは、その原因をくだんの英語教師に求めたのでしょう。英語の先生は、外国語学部出身であるがゆえに英語に対する造詣はもちろん深く、ご本人も英語が好きで、学校教師としては珍しく会話も流暢でした。ただし、教えることは苦手なようで、予習なしでその先生の説明を聞いても今ひとつ理解が難しかったのを覚えています。

これも邪推ではありますが、おそらく他の教師は「この英語の先生が、東大合格者が出るかどうかの瀬戸際の特進クラスの足を引っ張っている」と感じたのではないでしょうか。そうして先生を排除しようとしたというのが、僕の仮説です。現場の教師達は、学校の方針(特進クラスでよい大学への合格実績を作る)というのを忠実に守ろうとして、その足かせとなっている英語教師をいじめたという考え方です。つまり、学校の方針という彼らの「正義」の実現のために、いじめをしたのではないか、と見ています。

いじめをする人のほとんどは、いじめをしているという認識がないという事実

Sutton と Smith(1999)の研究によると、「いじめに関与している」とされた子どもの 5 人のうち 4 人は、自己報告において「自分はいじめに関与していない」と主張していたことが示されているそうです。(Sutton,J. & Smith,P.K. 1999 Bullying as a group process: An adaptation of the participant role approach. Aggressive Behavior, 25(2), 97-111.。上記の表現は「児童生徒間のいじめに関する心理学的研究の展望」久保順也(2014)からの引用)

いじめをする多くの人は、自分がいじめをしているという自覚がありません。僕の高校の教師たちも「学校方針を守るという正義のために、英語教師のやり方に介入した」くらいにしか思っていなかった、という可能性は否定できないと思います。そういう意味では、いじめをする側が組織の目的に対して「真面目」で「忠実」な、見る角度によっては「組織において優秀な」人たちであったのかもしれません。(いずれもカッコ付きです)

いじめは加害者の被害者の個人的特性から起きるのではなく「社会」が起こしているという可能性

仮定に仮定を重ねる推論で恐縮なのですが、有名なミルグラムの実験からもわかるように、いじめというのは加害者の個人的特性から起きるだけではなく、それらの属する「社会」が起こしている可能性があります。僕の高校も、もし特進クラスというものがなく、「優秀な他校に匹敵するほどの進学校になる」というような方針がなかったとしたら、このいじめは起きなかった可能性もあります。

ある規範をその社会が持っていて、その規範に沿って評価がされるのであれば、評価を下げる原因となるものを排除しようと思うのは、人の心理としては(批判されるべきことであるのは承知の上ですが)自然といっても良いでしょう。僕の高校の教師たちは「難関大学に何人合格させたか」で組織に評価をされていたのでしょうから、その評価を下げる原因が「英語教師にある」という共通認識が教師の間で生まれれば、英語教師がスケープゴートになることはそれほど不自然ではありません。

この可能性は、学校だけではなく、企業の組織の中でもじゅうぶんに起こりうることだと思います。最近ではどこの会社も「生産性向上」を目指しており、国の政策もそれを煽っています。そうなると「生産性」の低い、実績を残せない人たちは、組織の厄介者として排除されることもあるというのは、組織で働く誰にでも覚えのあることではないでしょうか。

こうした「規範」からの「逸脱」がいじめを生む可能性にはほとんど目が向けられていないように思います。むしろ「規範」を守ることに同調圧力が生じ、「逸脱」するものを切り捨てる考え方のほうが支持を受けやすくはないでしょうか。

加害者を厳罰に処するだけでよいのか

教師の同僚に対するいじめについて、twitterなどで世間の声を見ていると、加害者の教師に厳罰を与えよとする声をよく見かけます。確かに加害者がトリガーを引いたという点では、責を負うべきだと僕も思います。ただ加害者だけを糾弾するのではなく、その組織がおかれた環境や背景、組織が「よし」としていた規範についても念頭におかなければ、再発防止にはならないと思うんですよね。

加害者はたしかに悪い。しかし自分を取り巻く背景や環境によっては、自分もいじめの加害者になる可能性すらあるのですから、そのメカニズムを知る必要は私たちの責任だと思います。

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