おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。
週末のエモブロです。ぼくは、同じことをしても「この人は許せるけど、この人は許せない」と思ってしまう人間です。ルールを見て人を裁いているのではなく、人を見て人を裁いているんですよね。
スポンサーリンク
同じことをしても「この人は許せるけど、この人は許せない」と思ってしまう
6年くらい前、仕事で中央アジア(ウズベキスタン、キルギス)に行ったのですが、そのときに個人的に印象深いことがありました。
車での移動中のことです。2車線の道路を移動していたのですが、少し渋滞していました。そこになんと、2車線の車の間をすり抜けるように、1台の車が通り過ぎて行ったのです。日本だと、割り込み運転違反や追い越し運転違反になってしまう可能性がある行為ですね。
そして周囲のドライバーたちは、すり抜けをしている車を見て笑っていたり、手で「行け!行け!」のようなジェスチャーをしていました。ぼくの車に同乗していた現地の人にも訊いたのですが「急いでいるときはお互い様だから、(その人は)特になんとも思わない」と言っていました。
そして「ふーん、そうなんだ。まあ急いでるんだったら仕方ないか」みたいに思ってしまう自分も発見してしまったんですよ。
この自分の態度、ぼくにとっては結構衝撃的だったんですよね。同じ状況に日本で遭遇していたら、ぼくだったら確実に「交通ルールくらい守れよ」とイライラしたりムカムカしていたと思いますが、中央アジアだと「仕方ないよね」と思ってしまう態度の差に、我ながら驚いてしまいました。
似たようなことは他にもあって、同業者がX(旧twitter)などで、自分を大きく見せようとしているのを見ると、なんだかムカムカしたりイライラしてきます。一方、全然接点のない人がX(旧twitter)などで、自分を大きく見せようとしているのを見ても、特に何も思わないんですよ。
このようにぼくは、同じことをしても「この人は許せるけど、この人は許せない」と思ってしまう人間です。ルールを見て人を裁いているのではなく、人を見て人を裁いている、と言ってもいいですね。
「こうあるべき」という規範を、似た人に勝手に押し付けている
交通ルールを守らない日本人に対してのみイライラし、外国人の場合は「仕方ない」と思うこの反応は、文化的な期待に基づくものである可能性があるんじゃないかと思っています。
どういうことかというと、同じ国籍や文化的バックグラウンドを持つ人々に対して(つまりぼくにとって、日本で生まれ育った人)は「こうあるべき」という価値観や規範を、ぼくが持っているのだと思います。そのため、自分と同じ文化的背景を持つ人々がルールを破ると、それに対して厳しい反応を示すのでしょう。
同業者に対しても同様で、「同業者はこうあるべき」という文化的な期待や同業者に対する特定の規範や基準を持っているために生じている可能性があるんですよね。同業者に対しては「嫉妬」……つまり、彼らの成功や行動が、自分の能力や地位に対する脅威として感じているから、という可能性もありますけどね。
同じことをしても「この人は許せるけど、この人は許せない」と思ってしまうのは、同じカテゴリーに属する人に対して規範を作り上げ、その規範を順守することへ、ぼくが一方的に期待をしているからだ、というわけですね。面倒くさい人ですよね。
「こうあるべき」を押し付けることがやめられない
このようにぼくは、自分と似た人に対して「こうあるべき」という規範を、勝手に押し付けているわけです。それを自覚もしているんですけど、規範への期待をやめたり、押し付けたりすることが止められないんですよね。
これは認知行動療法と似たようなプロセスなのですが、結局のところは、 自分の感情や反応を意識的に観察し、自分と似た人に規範を押しつけてイライラしてしまうのか、その根底にある感情や思い込みを理解するところから始めないといけないんですよね。つまり「全ての人が自分と同じ基準や行動を持つわけではない」という理解を自分の中に定着させる、といえばいいんでしょうかね。
まあでも、このように自分の内面に向かい合うのって、結構辛いんですよね。一人じゃできないので、カウンセリングやセラピーのサポートを受けながらやるのがいいんでしょうけど。